県内の大学等に通う留学生からお寄せいただきました。

実は両親も県費留学生として、新潟大学に留学に来たことがある。だから子供のころから日本に関する事をいろいろ聞いてきた。そのような事を聞くにつけ、自分の目で日本を見て、視野を広げたいと思うようになった。それで、自然に日本について関心を持つようになったし、留学するなら日本だと思った。
私の省でも新潟大学はとても有名で、新潟大学を卒業し、中国で活躍している人がたくさんいる。様々な交流活動を活発にくりひろげることによっては両国人民の相互理解と友誼はもっと深まり、両国友好協力的関係を推進することができるでしょう。私は県費留学生として,これを大切にし、さらに日本で勉強を深め、今度は中国と日本の交流の発展に貢献していきたいと思っている。
ハルビンは中華人民共和国黒龍江省の省都で、8市区、4県級市、7県を管轄する地級市であり、副省級市にも指定されている。黒龍江省の中南部、北流してアムール川に注ぐ松花江の河畔に位置する。
冬の時は最低気温がマイナス30度にも達することから「氷城」とも称されています。本当に寒いです、冬になれば、市内を流れる松花江を歩いて渡ることもできます。
ハルビン市内の見どころは、エキゾチックな街並みと太陽島、孔子廟、極楽寺、聖ソフィア教会などです。郊外には、玉泉狩猟場、ヤブリースキー場、二龍山、松峰山、東北虎園などの豊かな自然や金時代の文物を収蔵した金上京歴史博物館、粛紅故居などがあります。最も盛大で有名なイベントは、毎年1月に開催される氷祭りです。松花江の氷を切り出して作られた氷の灯篭、雪や氷の彫刻などが太陽島、松花江畔、兆麟公園を会場に繰り広げられます。
ハルビンと新潟の友好関係は「友好都市」と呼びます。中日両国の国交正常化をした後で、特に中国の黒竜江省政府と日本国の新潟県庁は科学技術に関する人材交流協力する事業におけて長期的安定的な関係を形成し、また発展していきた。

私の故郷は韓国の首都、ソウルから東へ200k離れた江陵(カンヌン)というところです。奇麗な海と山に囲まれている江陵は、冬には雪がたくさん降るなど新潟と似ているところが多いです。晴れる日が多くて風が強くない新潟を想像してください。海が近いこともあって、刺身は美味しいし、夏には観光客で賑わうところです。冬のソナタなど韓国のドラマや映画の背景になる海辺はカンヌンあたりだと思ってください。
また、ユネスコに登録された端午の祭りと、現在韓国で使われている5000ウォンの紙幣の人物である朝鮮時代の学者が生まれたところでも名が知られています。その他に朝鮮時代に建てられた家・学校などが数多く残っており、昔ながらの韓国を味わえるところです。

ブラジルの人口は約1.91億人(2007年)で、世界5番目です。この人口の81パーセントは都市部に住んでいます。国語はポルトガル語ですが、ポルトガルで話しているポルトガル語の発音とかなり違います。移民の先祖があるブラジル人も多く、ドイツ語やイタリア語などの母国語を話す人もたくさんいます。 現在、人口の約55パーセントがヨーロッパ系で、38パーセントが白黒混血、6パーセントがアフリカ系、最後の1パーセントがアジア系や原住民です。これでブラジルは民族と文化のまれに見る混合のある国です。
ブラジルは自然の美しさ、サンバ、カーニバル、サッカーで国際的に有名です。比較できない天然記念物は42パーセントの国土を占める濃密なアマゾン熱帯雨林、セラードの広がる草原、カーティンガの独特の乾燥低木地、大西洋岸森林、と終わりがないようなパンタナール湿地を含みます。ブラジルの多くの動植物は世界の他の国で見つけられません。新興経済大国として、急速な発展を促進しながら貴重な生物多様性を保護するのがブラジルが直面している手ごわい挑戦です。
ブラジル文化の重要な要素の一つは音楽です。サンバ、ボサノバ、ランバダなどの音楽スタイルと関係する踊りは全部ブラジル発祥です。カーニバルはブラジルの最大な祭りで、何百万人が道、クラブ、パレードで踊ったり、歌ったりします。州によって祝い方、音楽、ダンスの習慣が異なりますが、カーニバルの時は国中どこに行っても楽しむのが第一です。ブラジルの国技はもちろんサッカーで、世界最多の5回もワールドカップで優勝しています。
私の出身地のサンパウロは世界第4の都市で、中南米の第一です。人口は1100万人で、とても多様性のある都市です。たとえば、500万人のイタリア系人もいるし、日本以外の世界最大の日系人人口を擁しています。ブラジルと世界の文化を体験したい人にサンパウロをお勧めします。
スクリャガ エレーナさん

日本との関係
1918年から1920年には日本軍がハバロフスクを占領した。一方、第二次世界大戦後のシベリア抑留では多くの日本軍将兵がこの近辺でも強制労働に従事させられ、その中の多くがこの地で没した。現在でも日本人墓地が維持され、近親者などによる墓参が行われている。また、一部の日本人向け観光コースには、ここへの墓参が含まれているものもあるようだ。
1956年に日ソ国交回復が実現すると、1961年に横浜からナホトカへの定期航路が開設された。ナホトカ港でソ連に入国した外国人旅行者は連絡列車でハバロフスクに向かうように指定された。モスクワや、ヨーロッパ方面など、ハバロフスク以遠を目指す場合でも、ここからは別の列車や航空機に乗り換える必要があった。そのため、ハバロフスクは極東経由でソ連を訪れる旅行者は必ず訪れる町となった。また、1962年には新潟市長がハバロフスクを訪問し、1965年に両市の姉妹都市提携が調印された。同年にはモスクワと共に出羽海親方を団長とした大相撲のソビエト公演が行われた。
1973年には新潟と結ぶ航空路がアエロフロートにより開設され(後に日本航空も運行)、その後長く日本からシベリアへ向かう唯一の直行路線となった。同時に、新潟空港にとっても初の国際線で、北東アジアの各都市へ路線網を拡大するきっかけとなった。
ソビエト崩壊後もハバロフスクと日本との関係は深く、1993年には日本の総領事館が設置されている。また、1996年にはハバロフスク地方と友好提携関係を結んだ青森県の青森空港からの定期航空路が開設され、現在は夏季の運行となっている。なお、新潟線・青森線共に、現在の運行会社はハバロフスクが本社のダリアビア航空になっている。
2004年には、ハバロフスクが本拠地のロシアアイスホッケートップリーグチーム、「アムール」のリザーブチームがゴールデンアムールとしてアイスホッケー・アジアリーグに参加し、日本・韓国・中国の各チームとホームアンドアウェー方式で試合を行っている。
(H20.2)